学生時代 野球に熱中し、感じた「個」の大切さと同級生との違和感
1977年、熊本県熊本市で、年の離れた姉と兄を持つ、末っ子としてこの世に生を受けました。兄や姉とは年が離れていたものの、その差をものともせず、喧嘩をふっかけるようなやんちゃな幼少期を過ごしていました。
父親がよく見ていたテレビ中継がきっかけで、野球に心を奪われ、少年野球チームに入団。
小学校・中学校を通じて、野球に熱中していました。
高校野球の強豪校に進学したにも関わらず、一緒に野球をやりたくない同級生がいたため、野球部に入らず野球を辞めました。
野球が嫌いになった原因が“人間関係”にあったことを、大人になってから理解しました。
当時はそこまで深く理解できていませんでしたが、組織の中で個をどう活かすかが大切だということを身をもって体験した学生時代でした。
ちなみに高校時代は、今までの野球生活とは程遠い、バンド活動に熱中していました。
学生時代の解説
とにかくエネルギーだけは強く、動きの激しさもスピードも、誰よりもパワフルでした。
興味があるものしか心が動かず、自分の中で意味のあるものしか動かない少年でした。
小学校時代はこのエネルギーの強さを出すことによって仲間が集まってきましたが、中学校時代になると”同級生”というくくりに違和感を覚え、エネルギーの強さを抑えなければいけない環境が続き、次第に野球も何もかもに冷め、友達と交わらなくなりました。
高校生になると、このエネルギーを向けるのはバンド活動になり、”同級生”と交わらない世界でエネルギーを発揮しはじめました。
今思うと、友達関係、勉強、野球と、すべて自分のエネルギーが関係していたことがわかりました。
このエネルギーを教えてくれる大人が誰一人いなかった、、、いてくれていたら、もっと充実した学生時代だったかもしれない、、、
そんなタラればを無くすように、人によって違うエネルギーの使い方を伝え続けています。
20代 自信満々、
チャレンジチャレンジを繰り返して
やりたい放題、
なんでも上手くいっていたが...
20歳で熊本の地場大手ハウスメーカーに入社しました。
1年目から3年連続でトップ営業マンに輝き、ノルマ達成率660%という実績を残しました。
その後、当時では全国最年少で大手外資系生命保険株式会社にヘッドハンティングされ、入社を果たしました。
そこで、帝王学と出会います。
諸先輩方が、お客様を知るためのツールとして活用していた帝王学、
知れば知るほど奥が深く、研究を開始したのもこの頃です。
しかし、「社長になりたい!」という意欲が高まり、独立の準備を始める決意をします。
なぜ、ハウスメーカー時代には、住宅をたくさん売れたのか?
なぜ、生命保険の営業では、契約が取れても嬉しくなく、満足感が得れなかったのか?
のちに帝王学の学びが進んだ時に、答えが解明されました。
24歳で、不動産会社を設立し独立をします。
当時は私が業界最年少経営者でした。
創業したタイミングの意味、創業から3年間は記憶がないぐらい、どうやって生きていたか覚えていないぐらい、売上が上がらない日々を過ごしました。
しかしそこから創業3年目から6年目の3年間で、年商3億、総資産11億という驚異的なスピードで成長を遂げました。
介護会社、リフォーム会社、資産管理会社を次々と設立し、6社・20事業体以上を手掛けるに至りました。
この頃は何をやっても上手くいき、『自分は天才だ』と本気で思っていました。
しかし、その成功の裏には気づいていなかった課題が潜んでおり、その前兆が少しずつ現れ始めていました。
これものちに帝王学で明確に説明がつく、大きな人生の流れがありました。
20代の解説
10代の学生時代の同年代のくくりでは、エネルギーの強さがアダになり、誤解され、勘違いされてきましたが、20代で”同級生”の中でも早く社会人になり、再びエネルギーの強さを発揮します。
住宅会社の営業の仕事につき、頑張れば頑張るほど評価され、収入が増える営業職に就き、先輩営業マンを押しのけて3年連続トップ営業マンになります。
この時のエネルギーの出し方は本当に自分らしかったし、この3年間の流れを見ると、最高にエネルギーの高い3年間の中にいたので、最高の結果が残せたと分析しています。
でも、3年目が終わる頃、どうしても仕事を変えたい、会社を辞めたい衝動にかられ、このタイミングで外資系保険会社からヘッドハンティングされ転職。全く別業界に行きました。
ただ、このタイミングが最悪のタイミングでした。あとからわかったのですが、転職をしていけないタイミングに転職した為、この年は人生のどん底を味わいます。
保険を売っても売っても充実感がなく、翌年不動産会社を作って独立。振り返るとこの独立のタイミングはバッチリのタイミングでした。
ここから人生の転機を迎え、経営者人生がスタートしました。18年間続く会社になりました。
それでも独立して3年間は記憶が無いぐらい、どん底のスタートを切っておりましたが、27歳、「今年はチャレンジの年」というタイミングで、やったことがない不動産賃貸管理と不動産投資にチャレンジ。
このチャレンジがのちに、大きな事業へと発展していきました。
そこから3年間は流れに乗って上り調子。不動産投資と事業で約11億円もの資産形成ができました。
30代 経営危機でどん底の経験、
本当の自分を探す旅
経営していたグループ会社で思わぬ試練に直面しました。
労働環境の悪さを訴える声が社内で噴出し、不満が高まるにつれて、組織全体がコントロール不能に陥りました。
売り上げは低下し、社員の給与が遅れ始め、夜勤を引き受けてくれるスタッフもいなくなるという悪循環に。ついには、家族までもが過度なストレスを抱えながら現場に出ざるを得ない状況に追い込まれ、手放す決意をします。
大手企業にM&Aで売却できたものの、約2億の負債が残りました。
その後、この経験を活かして34歳で経営コンサルタント業を開始。
不動産業、建設業と合わせ3本柱での経営を継続しながら、負債を返済していきました。
しかし、順調な兆し見えかけた頃、2016年の熊本地震に襲われます。
結果、熊本での仕事がストップしてしまいました。
今振り返ると、自分の持っていない能力にとことん向き合わされた、試練の30代でした。
30代の解説
20代は、山あり谷ありありながら、30歳を迎えるころには資産形成までできていました。
当時を今振り返っても、良い流れに乗っていました。
ところが29歳の時に設立した会社で問題が発覚。
30歳に入ってからは、この問題を解決する為に、地獄のような日々を送ることになりました。
ただ、その当時はわかりませんでしたが、私の流れは悪くなかった。でも、どうしてもうまくいかない、悪い方向に行ってしまう。
この負の連鎖を止めるにはどうすればいいか?その当時はわかりませんでした。
そこから、何とか状況を改善しようと奮闘していましたが、状況はドンドン悪くなるばかり。
その悪くなる原因もわからず、ただひたすらに試行錯誤しながら、答えを探す日々でした。
そんな中、33歳・34歳の最高潮の流れの時に、会社を売却することに。全く良い流れをつかめず、逆の方向に流れていきました。
この原因はなんだったのか?この原因は現代帝王学が完成することに解明されました。
シンプルな答えをお伝えすると、全く「自分らしく」なかった。
自分の能力を全く使っていなかった。
自分が持っていない能力のことを、一生懸命していた。
自分の意見ではなく、人の意見に引きずられていた。
こんな原因が明確になりました。
仕事や事業が無くなった状態で、マイナスからのスタートでした。
その中でも36歳のタイミングで、教育や人材開発の分野の仕事がしたいと、仲間と共に大阪で会社を設立。これがのちに、私の作り上げていく学問のベースになりました。
不動産業、建設業、リフォーム業、リノベーション事業と、経営コンサルタントを同時並行で行いながら、自分のやりたいこと、自分らしさを模索していました。
そんな中、起こった熊本地震。熊本の街が様変わりしました。
熊本の経済は完全にストップしてしまい、不動産も建設もすべて止まりました。
そのタイミングで、渡りに舟のように、大阪で不動産業をするチャンスが舞い込みます。
38歳、39歳の2年間、大阪と熊本を行き来する生活が続きました。
40代 人生を楽しむ人の道しるべである現代帝王学が完成
孔子の言葉で「40にして惑わず」という言葉があります。
その言葉通りに、40歳になる年に「このままの状態を続けていても夢は実現しない」と想い、
40歳で不動産業や建設業を全て廃止し、経営コンサルタント業に専念する決断をしました。
この頃から、自分の人生の流れに応じた行動が自然にできるようになったと感じています。
43歳には、長年研究していた帝王学を主軸に、統計学・分析学・心理学を入れた新たな学問として「現代帝王学」が完成しました。
自分自身の人生を振り返ると、すべての出来事が流れとタイミングに基づいて起きていたことを、この学問を通じて解明することができました。
なぜ数多くの事業を立ち上げられたのか、どのタイミングで起業すべきだったのか、そしていつ事業を売却すればよかったのか——それら全てが理由と根拠を持つものであることを理解しました。
さらに、学生時代から追い求めてきた「人生を楽しむ」というテーマの本質にもたどり着きました。「自分らしさ」で生きなければ、本当の意味で人生を楽しむことはできない——それが私の出した結論です。
私と共に人生を楽しみましょう。
40代の解説
大阪で不動産業を行っている時に、40歳を迎えました。
20代のころから、孔子の言葉「40にして惑わず」がずっと頭にあったため、40歳の年に何か大きな決断をするのではないか??と思っていました。
そう思っていた矢先、私の中で大きな事件が起きました。
この事件をきっかけに、今後の人生の大きな流れを考えました。
まさに「40にして惑わず」を実行するために、経営コンサルタント業以外の仕事や会社を、全部手離しました。
まだまだ経営コンサルタント業だけでは生きていけない状況でしたが、何かを手放さなければ、新しいものが入ってこないと奮起し、すべてを手放しました。
仕事もお金も人脈も、、、、経験も栄光もプライドも、、、、
その決断がのちに、本当に良かったと思っています。
それから人脈や関わる人間関係が変わり、ずっと研究・検証し続けていた帝王学を形にするタイミングがきました。
それからコロナ禍になり、更に内観する時間ができ、現代帝王学を完成させることができました。